すずわん日記

40代でサラリーマンの限界を感じました。これを良い経験として、この後の人生を楽しく豊かに過ごせるように考えたことを書いていきます。

水戸黄門「助さん、角さん、少し懲らしめておやりなさい」

シレッと、曖昧に、キッパリと

普段はテレビをあまり見ないのですが、先週たまたま見たその番組、つまりワイドショー番組では、政治家や官僚の方々がシレッとした態度でアイマイな表現を、それでいてキッパリと言い切るという不思議な答弁をしていました。

記録やら記憶を問い詰めても、返事は相変わらずモヤモヤしていて、それを見た僕でもさすがに気分は悪くなります。

「どうせ、悪いことしてるんでしょ?」

そう思って見てしまいますが、その場ではどうせ結論は出てきません。そして証拠など自ら出すわけがないので、いつまで経ってもループを繰り返しているようにも見えます。

方や、キャスターもコメンテーターも鬼の首を取ったように悪いことをしたと思われる人達を吊るし上げ、激してしゃべっています。

まあ、懲罰を下すのは我々庶民ではないのだけれども、政治に対して声を上げる権利や環境があり、不正への対処に少しでも寄与出来るのは、法治国家とはして良い事です。

 

無意識の懲罰欲求がある

書きたかったのはそれがメインではなくて、我々のワイドショーを見る視線について、僕の想像。

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我々は怒りながら、ワイドショー番組や雑誌の記事を連日見ているわけです。その時ココロのどこかで、悪いことをしたと思われる人を直接問い詰めて懲らしめてやりたい、と思って見てるんじゃないか?ってことです。

もう一歩踏み込んで表現すると、我々は無意識の中に人を懲らしめたい欲求があり、欲求があるゆえに、つじつまが合わなくて到底納得が出来ない回答や、バカみたいに繰り返す会話のループを期待しているのではないか?と思ったのです。

悪者にガツンとやった瞬間、泣きながら、

「ゴメンなさい、ゴメンなさい」(;O;)

と言われると逆に引きます。なんだか面白くないからです。

でもシレッとした顔で、

「やってないかもしれません」(・Д・)

的な事を言われちゃうと、やっつけたくなる。それはもう絶対に「やってるんでしょ?アナタ」と思ってるから。

正義に基づいた怒りに基づいて鉄槌を下せる事が快感に近い感情を生んじゃってるので、多少抵抗してくれないと快感の度合がアップせず、やっつけ甲斐が無くなってしまいます。

なので曖昧な回答やループするインタビューを期待してしまうんじゃないかな。

 

日々をそれで我慢する

人間、そんな本能がどこかにあるけれど、日常生活では吐き出す事も出来なくて我慢しています。ゆえにワイドショーなどのゴシップに食いつくのかな、と思います。

そしてサスペンスドラマのトリックあかしのように、理路整然と「悪事」のプロセスを明らかにした上で、悪人をトコトン懲らしめたいのです。

最近では勧善懲悪的な物語はあまり見かけない気もしますが、昔は有名だった時代劇「水戸黄門」は勧善懲悪ですよね。

ドラマのように、悪事が全て暴かれスッキリした後、最後は黄門様にこう言われるのをみんなで期待しているのです。

「助さん、角さん、国民の皆さん、少し懲らしめておやりなさい!」

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って言葉をね。