山の向こう
保育園の頃、窓から見える低い丘陵の向こうには、都会の仙台があると想像して、行ってみたい想いにかられました。
しかし、実際に遠足で仙台の八木山動物園に向かう時、
「山を越えたのに、まだバスは進むんだ」
と首を傾げて、バスの外の景色を見つめていました。
山の向こうは、ただの隣町。
数時間かけて動物園に到着した僕は、そこでやっと、仙台という所は遠い所だ、と幼心に悟った事があります。
そう、山を越えた先の隣町までは、10Kmほどの距離しかないのに、僕の実家から仙台までは、約100Kmもあったのです。
小学生になると、親に買ってもらった変速機付き自転車で、その丘陵の急な坂道を時間をかけて越えて、隣町まで遊びに行きました。
隣町でしか手に入らない物が置いてある、オモチャ屋さんや、大きな本屋さんを求めて。
町中を自転車で移動した後、日が落ちて真っ暗な中を、自転車のダイナモライトの音をジージーとたてながら、満足気に友達と一緒に帰宅した事を覚えています。ちょっとした冒険でした。
その後、高校に進学。
入学した高校は隣町にありました。
そうなるともう、幼い頃に憧れていた山の向こうは、完全に自分のテリトリーです。
高校生活3年の間、遊びと部活を楽しんだあと、憧れた仙台を飛び越えて、はるか300Km先にある土地に就職を決めました。
就職先を自分で決めた僕に、親父は一言だけ、
「まぁ、外の釜の飯でも食べてこい」
と笑って送り出してくれたのを覚えています。
大波、小波
18歳で北関東の地方都市に就職した僕。
入社2年後に、可愛がってもらっていた上長から、東京の本社で人を求めているから行かないか?と勧められ、東京のど真ん中に転勤しました。
生来の田舎者ゆえに、自分がスーツ姿で都会を歩く生活も想像すらしていなかったのですが、東京で10年以上、刺激のある毎日を過ごし、仕事を通じて妻と知り合って、結婚。
その間には、認めてくれる上司にも出会えて、役職者に抜擢されて、仲間と一緒に楽しい仕事や、大変な仕事に没頭する日々が続きました。
そして、仕事のストレスにより休職。
どこまで時間が戻れば、休職をするくらい辛い思いをせずに済んだろうか?
どこまで戻れば、休職せずに乗り越える強さを身につける事が出来たろうか?
どこで間違ったんだろうか?
目の前の大波、小波をただただ突っ切ってきただけの人生の中での、自分の判断の一つ一つがあります。
そういう瞬間、瞬間で最良の選択をする事により、最良の人生を選ぶ事が出来たのかもしれません。
しかし、時間を戻してしまうと、辛い思いと一緒に、大好きな妻や友人の存在が無くなってしまう可能性があります。
パラレルワールドのような想像をする人は、別な人生では別な人たちとの出会いがあり、その中で幸せに暮らしている、と言うかもしれませんが、そんな事は考えても無駄です。
一番大切な時は今。
それしかありません。
まだ遠くは見える
先日、犬の散歩で、家の近くの見晴らしの良い高台を歩いていたら、はるか遠くに、少しかすんだ山地が、延々と連なっているのが見えました。
こんなに平穏な気持ちで景色を眺められるのは久しぶりです。
休職をしていなければ、わずかでも仕事の事が脳裏をかすめて、心を乱したかもしれません。
綺麗な山並みにしばらく見とれた後、ふと、あの山地はどの辺だろう、と思い、その場でgoogleマップを使い調べてみました。
方角的におそらく、関東平野から山地に変わる、栃木県佐野市辺りかと推測出来ましたが、それは近過ぎるような気もして正確にはわからなかったです。
でも、わからないから「あの山まで行ってみたい、どこなのか知りたい」という欲求が発生します。
仕事で傷ついた心なのに、遠くを見て、そこに行ってみたいという気持ちが湧き上がる感覚は、保育園の頃から変わらないものだな、と、人間の本質の変わらなさに少し驚きました。
夢と点
幼い頃、たかだか10Km先の山を越えた未知の世界は仙台だ、と勘違いをしていましたが、勘違いは、ただの間違いではありません。
山を越えたい、と「夢」を持った瞬間だったのです。
保育園児が、おっかなびっくりでも丘陵を越えてみたいという気持ちを持った瞬間、それが僕の転機だったのかもしれません。
人生において、生まれてから今の自分に辿り着くまでの「線」が、その瞬間瞬間の「点」で繋がって出来ているのであれば、その瞬間が正しい判断であろうが、間違いであろうが「点」は「点」です。
そして僕のこれから歩む道では、その「点」の一つ一つで「夢」を思ったり、やりたい事の準備をしたり、やりたい事をやっている瞬間であれば良いと思います。
もしかしたら、不快な「点」をプロットしなくてはいけない瞬間が、延々と続く事があるかもしれません。
不快な「点」は乗り越える行動もアリですし、また、そこから逃げ出して、違う「点」を探す行動もアリです。全ては自由です。
でもその瞬間の「点」をプロットせずに、次の「点」は無いです。
すでに40歳も後半。
あといくつの「点」をプロットするのかは分かりませんが、出来るだけ「素敵な点」を生み出していきたい。
無邪気に、山の向こうに行ってみたい、と思う瞬間瞬間を大事にしたい。
毎日が転機であることを、忘れずに。